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遙かなるヌシ
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 木水の指し示す方を見ると、それまで静止していた3本のウキの1本が、フワフワと揺れだしたと思う間に、ス−と姿を消した。
『ビシッ』
小さいが鋭い音を発して、木水の竿が立った。
 昼食から、まだ1時間も立っていない。
 竜也は、まるで夢を見ているような気分であった。
獲物は、一度左へ走ろうとしたが、木水が竿を左に倒すと、向きを変えて沖へ向かい、何時の間にか足元に引き寄せられていた。
 先程のより少し小さく、5`程あろうか、それでも鯉と呼ぶには充分な型である。
『スゴイ!イヤア、ホント、スゴイ!』
 野鯉の連発に、竜也は我を忘れて、奇声を発していた。
『どうじゃな、善ければこのエサを使ってみんかな。』
 木水は、袋の中から麦を一掴み取り出すと、竜也に向かって差し出した。
 『いいんですか。それじゃ遠慮なく戴きます。』
竜也は礼を言うと、自分の釣り場に戻り、早速準備に取り掛かる。
吸い込みの仕掛けを解いて、2本針の仕掛けにすると、針一杯に麦を刺し、沖目掛けて投げ込んだ。
ただ、木水と違って、ぶっ込み釣りである。
 全ての仕掛けを付け替えて、木水の所に戻ると、大きく竿が撓んでいる。
 『あれっ、又、来たのですか。』
竜也は驚いて、わかり切った事を木水に尋ねた。
 『おおっ、あれから暫くアタリは無かったのじゃが、今し方、足元の仕掛けに食いおっての。
中々にいい引きを見せてくれよるわい』
 木水は、水中に消えたラインの彼方を見据えたまま、竿尻を地面に落として堪えている。
先程迄の獲物と違い、今回の獲物は、どっしりと落ち着いてあまり動かない。
40b程沖へ糸を引き出したまま、その場から重々しい手応えを送ってくるだけである。
 『これは、大物ですね!前の奴より、更に大きそうですね。』
竜也は、上ずった声で木水に同意を求めた。
 木水は落ち着いた様子で、相手の動きを確認すると、ジワリジワリと寄せだした。
半分程寄せた所で、ヒュンヒュンという糸鳴りを示して、獲物が抵抗する。
木水は、逆らわずに獲物を沖へ走らせると、又ジワリジワリと寄せてくる。
数回これを繰り返すと、さしもの獲物も、段々と水面に浮いてきた。
気が付くと、既に少し日が傾いている。
30b程沖で、夕日を浴びて鮮やかに輝く金色の鱗が、遂にその全貌を現して浮かび上がった。
 『デカイ!!』
思わず、竜也が叫んだ。
 『ウムッ、いい型じゃ。』
木水も頷くと、ゆっくりと寄せに掛かる。
獲物は、大物らしくゆったりと首を振りながら抵抗しようとするが、もう一時の勢いは無く、木水の差し出すタモに静かに納まった。
 『ちょっと、助けて貰えんかな。』
木水の言葉に、呆然と立ちつくして眺めていた竜也は、ようやく我に帰ると、タモに飛び付いた。
重い!
今までに無いズシッとした重みが、両腕に掛かってきた。
引きずるようにして、陸の上まで持ち上げ、更に川から離れた所まで引きずった所で、ようやく息を就いた。
大型の網の中で丸くなった獲物を、恐る恐る引き出すと、竜也が見た事の無い大鯉であった。
 『10`は、ありますね。』
竜也は震える手で針を外しながら、同意を求めた。
 『うむ、12〜3`位はあるじゃろう。』
木水は仕掛けを巻取りながら、悠然と言い放った。
 叢に横たわった魚体は、大物らしく正に威風堂々という言葉その侭に、深く沈んだ黄金色の輝きを見せていた。
身動き一つせず、静かに横たわる様は、まな板の鯉という言葉を竜也に思い出させた。
 『これは、雌じゃな。』
巻尺を手にした木水が、大鯉の腹を見て言った。
 『98aか。
少し足らなんだな。
しかし、まあこの位のが来れば上々じゃ。
あまり弱らんうちに逃がしてやろうかの。
すまんが、もう一度この鯉を持って、川に逃がしてやってくれんかな。
ついでに、袋の中のも頼めんかな。』
 『えっ、もうこの鯉を逃がすのですか。』
竜也はあわてて聞き返した。
 『うむ、今日はもう日も傾いてきたし、充分に手応えも味わった。
これ以上は、逆に後味を悪くすると言うものじゃ。』
 木水に促され、竜也は大鯉を解き放つと、ゆったりと尾を振りながら静かに水中に消えていく様を、名残惜しげにじっと見送った。
 『今夜も続けて粘るのかな。』
木水の言葉に、竜也はさっと振り返ると、いきなり頭を下げた。
 『先生、お願いです。僕に鯉釣りを教えて下さい。』
竜也の勢いに、木水は一瞬たじろいたように見えたが、間をおいて静かに答えた。
 『鯉釣りに、先生とは片腹痛いが、こんな老いぼれの釣り方でも参考になるなら、何でも聞くが良いじゃろう。
大体、儂は、遊びの釣りに、人の上下を持ち込むのは反対じゃ。
皆、平等に楽しむ権利を持っていると、思っておるがのう。
上手い下手に関わらず、如何に釣りを楽しむかが大切じゃ、と思うのじゃが、如何がかな。』
と言いながら、穏やかに笑って続けた。
 『まあ、全然釣れんよりは、釣れた方が楽しいか。』
 『じゃあ、教えて頂けるのですね。どうも有り難う御座います。』
竜也は、若者らしく喜びを全身に現すと、木水の荷物を肩に担いで歩きだした。

続く