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遙かなるヌシ
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<第 2 話> 手 紙
 その手紙がきたのは、竜也が筑後川の釣行から帰って、3ケ月を少し過ぎた頃であった。
あれから竜也は、筑後川で更に1週間粘り続け、何とか5`を頭に3尾の野鯉を手にする事ができた。
それも、木水の釣り方を、そっくりそのまま真似た釣り方で獲た釣果であった。
 木水は、その間毎日、自分の釣技をあまねく披露する事を惜しまなかった。
それどころか、2日に1度は、竜也を自宅に招いて、旅の垢を落とさせたのであった。
鮎美も、毎日必ず、心のこもった弁当を届けてくれた。
竜也が帰宅する時、木水は古ぼけた1冊の本を渡して言った。
 『これは、30年程前、儂が書いた鯉釣りの入門書で、既に絶版になり、これ1冊しか残っておらんのじゃが、記念に持って行きなさい。
大昔の釣り方じゃから、今から思うと恥ずかしい限りのおそまつな内容じゃが、鯉の本質は変わっとらんから、道標位にはなるじゃろう。
また、儂の今までの鯉釣りの知識を、もう一度纏めている所じゃから、出来上がったら送るとしよう。』
 あれから、竜也は何度も木水に、電話や手紙で指導を受けていた。
その殆どは、竜也が一方的に、解からない事や迷った事を質問するという形を採ってはいたが、時には、木水も思い付いた事や注意すべき事を丁寧に書き送ってきた。
 しかし、その日に送られてきた手紙は、木水では無く鮎美が差出人となっていた。
「川上竜也様
  突然ですが、去る7月6日、祖父が亡くなりました。
2日程、大雨が降り続いたあとの晴れた日の事でした。
最近、体調がすぐれず、暫く好きな釣りにも行けずにいたのですが、この日は珍しく朝から機嫌が良く、久しぶりに筑後川へ出かけたのです。
 こういう天気のあとは大物が釣れるからと言って、いつもの場所から少し上流の支流の注ぐ所へ出かけたのです。
いつものように、私が弁当を届けに行くと、釣り場には義足用の長靴の片一方だけが横になって残っているだけで、祖父の姿はありませんでした。
周りを見ると、水際に岸が崩れた跡と、その上には滑ったような跡が残っていました。
 私は狂ったようになって大声を出して辺りを捜し回りましたが、結局、祖父が見つかったのはそれから2日後の事でした。
近所の住民の方達や、消防や警察の方達の多くの方の懸命の捜索の結果、いつも竿を出している場所で見つかりました。
その時、祖父の手には愛用の竿が握られ、身体には釣り糸が幾重にも巻き付いていたそうですが、その顔はまるで笑っていたように見えたと聞きました。
 おそらく、待望の大物が掛かり、軟弱な岸辺の足場が崩れて、身体の不自由な祖父は増水した流れに引きずり込まれたのだろうと言う事です。
 でも、あれ程好きだった釣り場で死ねたのだから、祖父も本望だったのではないかと思います。
 ただ、残された私にとっては、15年前に父母を事故で亡くして以来、かけがえのない祖父でした。
いつも、私の事を可愛がってくれ、とても優しい祖父でした。
片足が不自由になっても、いつも明るく私を励ましてくれました。
そんな祖父が、急にいなくなってしまうなんて……
 祖父の柩には、祖父の愛用していた竿とリ−ルと、記念の魚拓を入れてあげました。
おそらく、三途の川でも、好きな鯉釣りを精一杯楽しんでいるものと思います。
 昨日、初七日の供養が済みました。
今日、祖父の部屋の整理をしていると、あなた宛の書きかけの手紙と、あなたに贈る鯉釣りの原稿が机の上にありました。
題名は『野鯉遊楽帳』となっており、祖父が一生の間、愛し続けた鯉釣りの集大成を書き残したもののようです。
 書き掛けですが、祖父の手紙と原稿をお送り致しますので、何とぞお受取り下さい。
             かしこ
7月17日       山本鮎美

続く